ヘルメットをかぶろうか。
ヤマギシ会とはどんな思想集団なの?と聞かれることがあるのだが、私には7歳からの足掛け11年ほどのヤマギシ会体験しかなく、18歳でヤマギシを離れて以来積極的に関わりを持たなかったのではっきりしたことは分からないのが事実。でも、その中で私が経験したこと、考えたことを振り返ってゆく中でおおまかな概要が明らかになるような気がしている。というわけで今日も一つのエピソードを書いておきたい。
高等部生は、免許もないので宿舎から職場、農場には自転車で移動する。乗車時にはヘルメット着用が義務づけられている。今でも田舎では自転車に乗るときにヘルメットをかぶっている中学生が多いが、当時でも都会ではほとんどヘルメットをかぶっている子どもはいなかった。
ちなみに私は高等部6期生なので、ヤマギシの村の子ども以外の一般の子どももたくさん入り始めた時代にさしかかっていた。ヤマギシに来る子どもは、ちょっと不良っぽかったり、引きこもりだったり、どこかに社会になじめないところを持っている人が多かったので、「ヘルメットをつけろ」と大人に言われても素直につけない事例があったのだろう。
ヤマギシの中等部(中学生に相当する)から入学したものは1組、私のように外から入学したものは2組とわけられた。私たち予科二組は一室に集められ、世話係(先生みたいなもの)を中心として輪になった。「輪になって座る」ミーティングのことを、「研鑽会」という。研鑽会の説明は追々するとして、この日は何があるのだろう、と思っていると、世話係のS氏はヘルメットを自分の前に置き、持っていた金槌でいきなりヘルメットをガンガン殴り始めた。大人の力でヘルメットを殴ると、だんだん壊れてくる。そりゃそうだ。
そうして、穴だらけになったヘルメットを前にS氏は、「どうだ、ヘルメットはこんなに壊れにくいんだ。お前らの頭を守るためのものだから、自転車に乗る時は絶対にかぶれ」と言ったのだった。
私は、あっけにとられてしまった。ヘルメットをかぶらせるためにここまでやるのか・・・別に金槌で壊さなくてもいいと思うのだが。
で、この通称「ヘルメット研(研鑽会を略してこういう)」の後、ヘルメットが一人一人に渡され、晴れて自転車に乗れるようになるのでした。
後年(私がヤマギシを離れた後のことだが)、高等部生の女の子がヘルメットをかぶらずに自転車に乗っていて、交通事故に遭い亡くなってしまう痛ましい事故があったのだが、私たちが現役のころはなんだかんだいっても大体がヘルメットをかぶっていたことを考えると、ヤマギシの規律も弛緩し始めていたんだなと思わずにはいられない。