愛和館でご飯を食べる

のっけからこの言葉の意味を知らない人には恐縮ですが(ほとんどか)。ヤマギシ会では、食堂のことを愛和館(あいわかん)という。確か言葉の意味があったのだけど忘れてしまった。ヤマギシ会は、今はどうだかわからないが当時は、一日二食で過ごすことになっていた。午前11時くらいに食べる食事を「第2食」、午後6時くらいに食べる食事を「第1食」と呼ぶ。夜の食事がメイン!といったニュアンスなのだろうか。
村人(学園生以外の大人)と学園生(当時の私たち)の食堂は場所が違って、私たちは400人(この辺の数字があいまいで、とても広かったような気がする)入れるくらいの食堂でご飯を食べたのだ。1つのテーブルに10人座れるようになっていて、「10人1テーブル」と呼ばれ、その10人は男女各5人ずつ、メンバーは入れ替わりで座れるようになっていた(固定制の時もあった)。この10人が食事の席でそれぞれの役割を果たすことになっていた。テーブルには3つ穴があいていて、真ん中にはおひつ、左右はガスコンロや、鍋を置くようなスペースになっていた。料理は、食堂のメインカウンターに大きなバットに入れて並べられており、そこから大皿に移して各テーブルに配置するようになっていた。素材は、ほとんどがヤマギシ会で生産されたもの。本当に、何でも作っていたのだ。牛乳、卵はもちろんとして鶏肉豚肉牛肉、納豆ヨーグルトがんも、カレーにラーメン、マヨネーズ、コロッケ、ハンバーグにウインナーもあり。きっと書いているだけで今回の文章が終わってしまうので、また思い出した時にでも書きます。
で、食事の話に戻る。
10人が各自の役割を果たす話だけど、基本的には男性だった私は食べるだけだった。たまに料理を取りに行ったりしたような記憶はあるのだけど。男女が互い違いに座り、料理を取ってあげたりもらったりというような感じ。ヤマギシ会には、「自分のことは自分でしません」という考えがある。「自分のことは自分でする」というのが一般だろうけど。つまり、誰かにやってもらうことで、我先に行動することを避けたり、他人の存在を意識するようにするという目的があったのかもしれない。で、やってもらうのが当たり前なので、そこに「ありがとう」という御礼は存在せず、「はい、どうぞ」「はい」といったようなやり取りがあるだけだ。ここらへんが独特ですね。
テーブルで調理をすることが多くて、お好み焼きを焼いたり、ラーメンをゆでたり、サバの味噌煮を仕上げたりすることも多かった。その調理はほとんどが女の子がしてくれた。どんな気持ちでしてくれていたのかわからないけど、学園ではそれがほぼ当然だったような気がする。ヤマギシの男は、「錬成」つまり鍛えてたくましい男になるべしといわれ、女は「幸せな娘、お母さんになる」といったような女性性を強調するような方針であった。だから、男はすごく楽だった。とにかくたくさん食べることが喜ばれたので、ラーメンなどは3杯くらい食べることが普通だった。そのおかげで、こちらに帰ってきて外食したとき「ラーメン一杯しか食べられないのか…」と変な感慨を抱いたものだった。
人間にとって食べることは一番重要なことなので、もう少し書いてみたい。今日は時間が無くなったので概要だけ。すみません。